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 創始者 摩利尚美は、ロハスやスローライフ等の自然派の概念が定着する半世紀程前から自然を愛する作品をひたすら創り続けました。

 「この世には幼児からおじいさんおばあさんに至るまで色々な人が棲んでいるのに、美男美女の若者だけが踊るクラシックバレエには不自然を感じる。」

 自然を愛する摩利は、ありのままに踊る創作舞踊の道を選び、特に幼児の踊りには、幼児期が精神の傾向を決定する大切なときと考え、自然さと無邪気な気品を備えた子供のための作品を数多く創りました。老いと死を見つめる悲哀を込めた作品もあります。摩利尚美の創設したこのスタジオでは、その精神と作品を愛する人々によって教育がなされ発表会が上演されます。

 

 ○自然を愛し、自分の心や体をほぐしてナチュラルな本来あるべき姿に正したい方

 ○自分も子供も真の芸術にふれて心の糧にしたい方

 ○本当の幸福は何かを身をもって感じ考えたい方

 

そんな方をこの研究所の人々は喜んでお迎えします。

創業者 摩利尚美について

  この研究所の創始者である摩利尚美は、寒さ厳しくも、美しく豊かな自然環境のサハリンで育ちました。小さい頃から自然とふれあう事が大好きで、また、踊る事が大好きな少女でした。医者であった父親は男の子には厳しい人でしたが、「音楽は人の心に直接影響するものだから良い音楽を聴かなくてはいけない」と言い、彼女にはピアノやたくさんの名曲レコードを買い与えました。

 13歳の時、よりよい学習機会を求めて摩利は上京し、女性の人権を擁護する団体(日本基督教婦人矯風会)の副会長であった守屋 東先生(教育者、女性活動家で、社会事業家​)を頼って寄宿生活を始めた。守谷先生からは「踊りたければ気品のある本物の芸術舞踊をやりなさい。」また、「あなたは金持ちの医者の娘だからわがままです。この学園に入学しなさい。」と言われるまま、東京都大田区にある調布学園に入れられました。この学校の校長先生は≪捨我精進≫(我がままを捨て、ひたすら志に進め)という精神を教育するので有名な方でした。

 

 やがて世の中は戦争一色となり、摩利は、東京大空襲で焼け焦げた屍を見ながら避難し、人間が起こす戦争と自然破壊の恐ろしさ悲しさを深く体験しました。

 

 1957年、摩利尚美は世田谷区にスタジオを建て、以降、数多くの舞踊作品を創ってきました。徹底して自然と其の中に住む生命あるものたちを賛美し、愛情深くみつめて其の個性をいかし、それに自分の感情を調和させて舞踊による詩やドラマをつむぎだすのです。摩利の芸術の底に、サハリンの大自然と質の高い音楽環境を与えた父親、本物の教育を施した二人の先生の影響が脈々と流れていることが感じ取れます。摩利の振付けは極めて自然で無理のない動きから構成されています。多くの舞踊家が流行の動きを追い、アクロバットも辞さない風潮もあったなか、摩利は一環して自然と向き合い、本質を見つめて作舞しているため、流行などどこ吹く風?、その作品は古びる事なく、かえって新鮮なのです。

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